相続税の重圧 焦る大地主が標的に11

「これを持ちまして、契約の締結と手付金の授受を終了させていただきます。本日は誠にありがとうございました。何かご不明の点があればお伺いいたしますが、いかがでしょうか」終始、秀雄に全く似合わないバカ丁寧な物言いで、昭子の目を見てから、買い手の男二人の目を秀雄は見た。昭子も、男たちもうなづくだけで、無言であった。

「引き続き、ご不明の点あれば、ご連絡ください。できる限りご説明いたします。本日はこれで締めさせていただきます。お気をつけてお帰りください。」男たちは、昭子に一礼して、部屋を出て行った。秀雄は、バッグにお金を詰めようとして、昭子に声をかけた。

「おばちゃん、お金をバッグに入れるから、念のため見ててくれますか。30束ありますからね。」2束ずつ手に取って昭子に見せながら、全部を詰め終わった。秀雄と昭子は、公証人に一礼をして、ドアに向かって歩き出した。ビルの1階まで下りて、二人は駐車場に向かって再び歩き出した。1分ほどで到着した。秀雄はお金の入ったバッグを丁寧に、トランクの右側に置いて、閉めてから鍵をかけた。昭子に後部座席に座るよう、ドアを開けて促した。昭子は、家に着いたらトランクの中のお金を受け取り、秀雄に礼を言って、見送るつもりでいた。もうあと少しで、みんなに報告できると思うと、昭子は緊張も全く無くなっていた。一方、昭子がバックミラー越しに秀雄の表情をうかがうと、やはりまだ、普段の秀雄の表情と違って、汗をかいているようでもあった。昭子は、本当に今日の秀雄は緊張しまっくりで、男としてだらしがないとさえ、何度も思った。

「秀ちゃん、ご苦労だったね。おかげで無事に終わりそうだよ。手数料はきちんと払うから請求しておくれね。」秀雄はバックミラー越しに昭子を見て、言った。

「今日は本当にありがとうございました。手数料は、来年の1月にすべて終わった後で請求させていただくよ。これで、いい正月を迎えられそうだね。お役に立てて俺もうれしかったよ。」昭子は、たまに通っている道とはいえ、帰りは、来るときに比べて、早く家に着いたような気がした。昭子は、秀雄に、車を門から敷地の中へ入ってもらうように指示し、玄関の前で止めてもらった。昭子は秀雄より先に降り、トランクのほうへ回って秀雄を待った。すると、秀雄は車を降りることもなく、窓から顔を出して、後方の昭子に向かって、言い放った。

「おばちゃん、お金は預かっておくから心配しないでね~ さようなら。」昭子は一瞬ポカーンとしてしまった。すぐに気を取り直し、夜までには、家まで持ってきてくれるだろうから、待ってみよう、と思った。家に帰っても、まだ12時過ぎで、だれも家には帰っていなかった。昭子は普段着に着かえた。洗面所で手を洗い、うがいをした。居間へ行ってお茶を沸かし、一人でゆっくりと、飲んだ。その間、ずっと、(なんでだろう、なんで秀ちゃんはお金を全部持って行ってしまったんだろう。)と、このフレーズだけが堂々巡りしていた。お茶も何の味もしないように感じた。家に帰ってからの行動を昭子は何も覚えていなかった。だから、何度も、手を洗ったかしら、うがいをしたかしらと、2度ほど洗面所に向かいかけて、すぐに我に戻ったりしては、居間の椅子に座りなおしたりした。とうとう、昭子は、みんなの帰りを待っていられず、居間の隣の和室に布団を敷いて寝込んでしまった。具合が悪くなったというわけでなく、ただ、ただ、横になりたかった。しかし眠りに落ちるということもなく、今日あったことを思い返したり、なぜだろうと、反芻するばかりだった。そうこうしていると、4時ころには、孫も、かなこも家に帰ってきた。昭子は、起き上がる気にもなれず、かなこに詳しく報告した。

 

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