不動産小説 代理人15

「それは今理解できました。しかし、外崎さん、よく思い出してください。そういうことは、書類より、仲介業者が売主の意思を確認してからことが始まるんじゃないでしょうか。山下さんが代理人であることは、私も聞いていましたし、お会いするのは初めてですが、その時点で、売主の意思を確認すべきだと、私は素人ながらに考えます。どうなんでしょうか。」外崎はまずいと思い始めていた。そもそも、言われるとおりだし、どの業者もそうする。今回はそこだけ、手を抜いていた。ブローカーという厄介な人間が持ってきた話は、地主から本当に頼まれているかを、確かめてはいけないという暗黙の了解が業界にあった。不動産業者は「宅建法」できめ細かく制約を受けている。最初に、売主と媒介契約書を締結しなければならない。万が一、買主関係の業者や買主からその提示を請求されたら、一部を黒く消すのはいいが、一応見せるのが常識である。したがって、安心して取引を進められる。そして、確認作業として、必要書類を交わすのである。客の鈴野が指摘した通り、契約の前にそういうことはすべて済んでいるのが業者の義務でもある。外崎は、山下が悪いので、延期しようと、安易に考えていたのが失敗だと気づいた。

「ごもっともです。私のミスです。延期するのがいいと思っていましたが、考えを改めます。では、遅まきながら、ここで、山下さんから、売主に電話をして取引を認めていただくということはいかがでしょうか?」

客の鈴野は舌鋒鋭く、言い返した。

「そうすれば、確実なのですか?それでしたら、印鑑証明のほうがいいのでは?まったく理解できません。どうすべきか混乱しています。あの土地は気に入っています。わけのわからないことで、まったく理解不能になってしまいました。」弱った、何としてでも取引を完結させろ、という希望なのか?

「では、山下さん、ご自宅に戻って印鑑証明を取りに行ってくださいませんか?」懇願に近い風情で外崎は山下の目を見つめた。ずっと、山下は黙ったままだった。免許を持たないブローカーなので、こういう場面に出くわしたことはないのだろう、と外崎は思った。なんと山下は、落ち着いて話し出した。

「鈴野さんのおっしゃる通りですね。外崎さんは一度も私に地主に会わせてほしいとはおっしゃらなかった、と言ってもいいくらいです。厳密にはそう申し入れられましたが、私が代理人になると宣言してからは、その意味はなくなりました。私は単なる代理人ではありますが、一応プロに近い知識を持って動いています。ですから、安易に私から延期という言葉を不用意に申し上げて申し訳なく思っています。鈴野さんの言い分は全く正しい。外崎さんのおやりになったことは寸部の隙もないといえます。私が印鑑証明さえ持ってくれば…。」外崎も鈴野も話の先が見えないような発言に思えた。だったらすぐに取りに行くといえばいいじゃないか。外崎は多少腹が立ってきた。山下は引き続き落ち着いた口調で話した。

「申し訳ありませんが、延期はよくない、印鑑証明書があれば事足りる、ということであれば、鈴野さんのお気持ちを想像すると、印鑑証明書を自宅に取りに行くということには応じかねます。というのも、私は、今までお話を聞きながら、印鑑証明書をどうしたのか思い出していました。でも何にも思い浮かびません。もう数年以上前から、記憶力が極端に落ちて全く自信がありません。もし、戻って印鑑証明が無かったらどうしようと思うと、帰る気力もありません。また、地主に再発行していただくのも無理です。体の具合が悪いのです。それに、身から出た錆を承知で申し上げると、プロの端くれとして、印鑑証明書をなくしたとは金輪際地主に言えません。信用が全くなくなります。」外崎は、何を調子のいいこと言ってる、プロの端くれだなんて誰も思っていないぞ、と内心突っ込みを入れていた。外崎はまた信じられないことを言い出した。

 

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